自分の経験を活かして大学職員として働くキャリア

身近にいそうな誰かの人生観をはじめとしたキャリアストーリーをお届けするインタビュー記事。第六回は、大学職員として勤務しながら、CAREER PLANTSのキャリアインタビューをお手伝い頂いている稲生拓未さん。大学受験での挫折を経て友人から気づかされた大切なこと、留学で身につけた前向きな姿勢、また働く中で自身が本当にやりたいことを模索する日々を語っていただいた。

 

挫折から学んだ本当に大切なこと

 

小学生のころに得意だったのは算数と理科。おとなしくて目立つタイプではありませんでしたが、中学校でソフトテニス部に入ってから性格的に明るくなったかも。

団体戦の中心メンバーとして県大会行くか行かないか、市大会の上位レベルで頑張ってました。練習は厳しすぎず「みんなで楽しもうぜ!」という雰囲気だったので、とにかく楽しかったです。

 

高校時代はテニスのほかにボランティアで課外活動をやっていました。週末を使って地域のゴミ拾いや知り合いが主催していた外国人旅行者の道案内に数回参加したこともありました。

当時なりたかったのは「考古学者」ですね。縄文時代とか石器とか歴史が好きになって、海外で遺跡を掘ってみたかった(笑)。何万年前という果てしない単位の時間を意識して、地球の歴史の長さ、計り知れない時間軸に魅力を感じるようになりました。

 

“外”に意識を向けるようになったのは高3の受験期。まわりに自分のやりたいことがあって、「地方の大学に行く」という選択をする友人がいて、自ら自分の進む道を決めることが必要だと認識しました。自分の行動に責任を持つことの重要性を意識しはじめたという意味では、本当にインパクトが大きかったですね。

 

大学受験は国際系学部が強い学校に絞ってアプローチしていました。第一志望は筑波大学。ただ現役時代は部活一本で、勉強する事を怠っていました。ですので、当然合格ならず。

最終的に学費の安い国立大に行くなら浪人という選択をしてもよいと親からは言われていましたが、一浪のセンター試験も失敗して、結果的に東洋大学に通うことになりました。

成績が好調だったので、最後に自分の詰めの甘さが出てしまった結果となりました。今、思い出しても、悔しかったこと、そして自分の不甲斐なさに失望したことを鮮明に思い出します。

 

正直にいって大学1年の春は荒れてましたね。暇な時間があれば、ひたすらアルバイトをして、授業もそこそこにだらだらしていました。当時は、浪人時代の1年間について、「自分はいったい何をしてたんだろう」と常々思い返していました。

 

そんな中、一緒に浪人して結果的に筑波大学に行った友達と久しぶりに会う機会がありました。大学生活の話をしていたときに、「志望大学に行けなかったくらいで、やりたいことを諦めてることがダサい」と言われ、本気のケンカになったことがありました。

私を励ますためのやっかみだってことはわかってた気がします。それはわかってたんですが、なにか言わないと自分が保てなくなるような気がして他人を責めることしかできなかったんでしょうね。

でも事実を突きつけられて、ちょっとずつ普段の生活が変わってきた気がします。

ちゃんと視界を外に向ければ、通っている大学にも頑張ってる人はたくさんいて、頑張っていないのは目の前のことが逃げ続けている自分だと思うようになり大学1年の夏に復活。そこからの3年はしっかり大学生活を送るようになりました。大切なことに気づかせてくれた友達とはいまでも感謝しています。

 

 

留学で身につけた”とりあえず”という前向きな姿勢

 

授業や友人との話を通して、自分の4年間を考えたときに、皆が経験できないチャレンジをしてみたいという想いが強くなりました。そして、その選択肢として、海外留学が現実的になってきました。

もともと海外志向が強かったこともありますが、まわりの友達がどんどん留学へ、海外ボランティアへと、現地でしか得られない経験を手に入れて成長していく姿を見ていたので、学生生活で少なくとも一つは成果を残したいという想いもあったので、留学をより具体的に考えるようになりました。

 

行く先に選んだのはフランスのストラスブール。ワイン好きの方なら聞いたことがある場所かもしれませんね。

大学ではなく、ビジネススクールに通っていたので、授業は英語、日常会話はフランス語という理想的な環境でした。

 

留学前後でTOEICが430点から970点にまで上がるなど、語学面での成長はたしかにありましたが、それ以上に自分にとって大きかったのが、ものごとに対する姿勢が変わったことだと思います。

以前は、考えてから行動派でしたが、「なんでもまずは取り組もう」と思えるようになりましたね。現地でクラブに行ったり遊んだり、誘われたらとりあえず行ってみようと思えるようになり、“とりあえず”という前向きな姿勢がこれからの生き方に大きく作用すると実感するようになりました。

 

 

大学職員として働く上で心掛けていること

 

帰国後の就活では、自然と大学職員を志望するようになっていました。

もともと母親が小学校の英語の先生をしていたことから教育に興味があったんですが、留学を通じて大学職員さんにお世話になったことから本格的に考えるようになりました。

 

そこで就職先に意識していたのは偏差値が高過ぎないところ。

第一志望ではなく第二、第三志望の人たちに対して、「頑張りたいけど、どう頑張ればいいのかわからない」といったタイプの人がいる方が親身になれると思ったんです。

 

そうして縁あって入職した明治学院大学の職員として働き始め、入職1年目で人事部に配属されました。大学のあらゆる課題に関わるセクションを若いうちから経験できたのは、本当に得られるものが多いです。

正確な判断を求められ、知識に基づいて判断しなければならないシビアなところを社会人1年目で味わえたのは大きかったですね。

 

2年目からはちょっと考え方が変わり、ルーティンをいかに効率よく行って研修や採用などのアイデア出しに時間を割くか、事務処理を減らして効率化を実践するなど、より“内側”の考え方を持てるようになりました。

いまでは職員採用も任され、エントリーの管理や筆記試験、求人媒体とのやりとりから職員の給与管理まで、幅広い業務を担当させてもらっています。物怖じせず、声にしていくことを大切にしています。

 

 

いまの自分だからこそ見出せた”やりたいこと”

 

ただ、ここ最近では「自分の決めた道は正しいのか?」とモヤモヤしているのも事実。

僕がやりたいのは、大学の古い体質を少しでも社会の動きに柔軟にさせ、個人的には、大学とはなんなのかという情報発信を行えるような体制を整え、高校生が大学選びで苦戦しないようにすることです。

大学生にとって適切な教育環境を整えることがミッションだと思っていますので、そうした目標に対して自分の普段の業務がどのように繋がっているのかと模索しています。

 

そこで最近、大学職員が集まる研究会に参加するようになりました。

また自分でもセミナーを企画して、職員同士が交流できる場を年に4、5回ほど実施するなど、“外”に向けた活動も始めるようになりました。

 

誰しも「仕事って? キャリアって?」という悩みを抱えるときは絶対きますよね。

これまでやってきた数えきれないほどの失敗は、バネにすることでやりたいことに向かって突き進める原動力になります。

 

たとえば僕の場合、大学受験という「失敗」をバネにして、「留学」という行動を通じてやりたいことを実現していった結果、「大学職員」という仕事と、本業以外の時間を「研究会」という形で活用しています。

 

これから2~3年スパンで、これまで自分が培ってきた経験や考え方を伝えていく場所を作っていきたいですね。