「今興味あること」の積み重ねが自分のキャリアに

身近にいそうな誰かの人生観をはじめとしたキャリアストーリーをお届けするインタビュー記事。第24回は、音大からPOSレジ販売、明光義塾を経て、今はメンタル相談と講師のお仕事に従事されている井上さん。将来の明確な目標を持つ形ではなく、その時々に興味があることを選択していくことで、最終的に「やりたいこと」を見つけるに至った経験を語っていただいた。

 

無気力な高校時代から一転、楽しめた音楽大学時代

 

中学生までは成績もよい方でいわゆる優等生でしたが、高校の選択に失敗、進学後は一気に無気力になってしまいました。

40年前の地方なので学校の選択肢は少なく、学区で2番目に偏差値の高い高校だったので両親は喜んでくれてたんですけどね。

いわゆる硬派な校風の男子校で、男らしさを求められる雰囲気に全く馴染めず、勉強も嫌いになって成績も急降下。無気力・無関心の日々となり、高校生活にあまりいい想い出はありません。

 

というわけで行きたい大学も特になく、かと言ってすぐに就職するのはちょっと…と思い、浪人して大学受験を考えました。

父親が音楽の仕事をしていたので、音楽関係の学校であれば浪人をOKしてもらえるのでは?と悪知恵を働かせ、学校を調べることに。

ピアノは少し弾けたものの、本格的に音楽を勉強してきたわけではないので、4年制の音大を受験するのは難しいと思っていました。

 

そんな中、尚美音楽短期大学(現:尚美学園大学)の「音楽情報学科」を発見。

音楽を一つの情報ととらえ、どのように管理していくのかを学ぶ、そんな新しい学科に興味を持ち、受験の上、入学しました。

ケッヘルという音楽学者がモーツァルトの楽曲に番号を付番して作品目録を作ったように、世の中に溢れている音楽資料をいかに体系立てて整理するか、というようなことを学びました。

当時は、「パソコン」という言葉がようやく定着し、CDが世の中に発売されるという時期だったので、こういった学科のニーズがあったのだと思います。

 

短大ということもあり、授業は結構忙しかったです。ピアノや歌、指揮法などの実技もあったので、練習にも時間を取られました。

でも、授業はすごく楽しかったですね。ユニークな課題も多かったです。テーマに沿ったラジオ番組を制作するとか、中学校の音楽の教科書を作るとか、ワンフレーズだけメロディーを聞かせられて、その楽曲が何か調べてくるとか。

レコード店でそのメロディーを歌って、「この曲何ですか?」と店員さんに聞いたこと、今でも覚えています。

 

いまや当たり前になったPOSシステムの販売や情報処理をする会社でアルバイトもしました。

主な仕事は商品データベースに商品名や品番の入力です。閉店後の夜間に、棚番号とバーコードの数字だけで商品を探して記録してくるのですが、宝探しみたいで割と楽しくやっていましたね。

夕方や夜の時間帯にできて時給も良かったので、自分にとっては都合が良いバイトでした。

 

 

やりたいことが見つからず、流れゆくままに就職

 

就職活動の時期になっても、正直しっかりと活動をしていませんでした。

一応、興味本位でレコード会社や音楽事務所に履歴書を送ったりはしたものの、どうしても入社したいという強い思いがあるわけでもないので、採用されませんでした。

 

そんなとき、アルバイト先の社員から「このまま就職しちゃえば?」と言われ、それも悪くないかなと思うようになりました。

仕事自体は楽しかったし、誘ってくれた社員の人が「この会社が目指していること」を話してくれて、自分がやっている作業がどのように役に立って何につながっているのか全容が見えてモチベーションが高まりました。

アルバイトの中ではある程度認められていましたし、そのまま就職することに決めました。

 

入社後は、営業が契約を決めてきたPOSレジの導入作業からアフターフォロー、問い合わせやトラブルの対応などを担当していました。

スーパーやコンビニなどで、現場スタッフの方々にPOSの操作説明をすることもありました。操作説明のマニュアルを整備したり、POSデータの活用方法を提案したり、仕事の面白みはかなりありましたね。

 

ところが、5年ほど経って会社が他社に吸収されることになり、退社を余儀なくされることになります。

会社に愛着があったので同業他社に転職する気は起きず、関連する業種ということでバーコードプリンターの会社に転職することに決めました。

 

2社目では洋服のタグを印刷するバーコードプリンターを作っている会社で、前職と同じく、機械を導入するときのサポートなどをやっていました。

タグに合わせてプリント位置を調整したり、操作説明をしたりしていましたが、正直、以前と比べてビジネスのスケールが小さく感じられて仕事に面白みがなく、 1年ほどで退職してしまいました。

 

 

流れでたどり着いた、「教育」という仕事

 

退職後はアルバイトをしながら次の仕事を探していました。

このときも特にやりたいことや目指しているものがなかったので、目についた選択肢の中からなんとなく選んでいたのですが、自分が適応できそうなものの中で「教育系」というキーワードが心に引っ掛かっていました。

 

ただ、教職免許を持っているわけでも指導経験があるわけでもないので、「講師職」は難しいと考えました。そんな中ピンときたのは、「個別指導」「教室長」「全国展開」といったキーワードの明光義塾でした。

 

当時、個別指導の専門塾は明光義塾ぐらいで、指導法やビジネスモデルに、今後の成長が期待できそうと感じ、その教室の運営責任者である「教室長」という職種に興味を持ちました。

また、面接に行ったときに偶然1社目の元同僚とばったり。経理として働いていたのです。

面接があった日の夜に電話でいろいろ聞いてみたところ、良さそうな雰囲気だったので入社を決めました。

 

 

やりがいを感じて楽しく働いていた、教室長

 

最初の5年は、教室長として勤務しました。

1教室に社員は教室長ひとりなので、トイレ掃除から生徒の募集、保護者面談まで何でもやりました。忙しかったですが、自分の判断で仕事のペースを決められることも多く、ムリをしている感覚はまったくなかったですね。

 

教室の掲示物や保護者への配布物は本部から送られてくるものもありましたが、当時は独自に作ることも許されていたので、講師たちとも話し合って工夫していました。生徒が興味を示したり、保護者に喜ばれたりするのがうれしかったですね。

学校の先生の疑似体験のような感覚で教室運営や経営をやらせてもらい、どんなふうに生徒を指導すれば良いかを考える毎日が、とても充実していました。

 

仕事に慣れてきた入社2年目に別の教室に異動なり、入会面談、定期面談などで生徒や保護者の話をじっくり聞いてから提案するという流れを徹底したところ、入会率が高まり紹介も増え一気に生徒数が伸びたことがありました。

 

その教室は非常に分かりにくい場所にあって立地条件が悪かったのですが、毎日問い合わせがきてうれしかったですね。生徒数が伸びたことで本部での評価も高まり、教室を好立地に移転させてもらえることになりました。

 

その後、エリアマネージャーという複数の教室を管理する立場になりました。プレイヤーからマネージャーへの昇進はやりがいもありましたが、本部と教室の板挟みになることもあり、人間関係に苦心しましたね。

教室長のモチベーションひとつで教室の運営や営業成績に差が出るので、いかに教室長のやる気を引き出すかがポイントと気づけました。

 

 

異動をきっかけに興味が芽生えた「キャリア教育」と「メンタルヘルス」

 

その後、教務部に異動となり、教材の開発や全国の教室へ教育情報を提供する仕事をしていました。

それと同時に研修も担当するようになり、新任のフランチャイズオーナーや教室長向けの研修会や定例研修会の講座を作ったり、講師として100名以上の教室長の前で話をするようにもなりました。

 

そんな中、社長直下の「教育理念を具現化して商品化するプロジェクト」に参加することになりました。

明光義塾の教育理念をとても大切に考えていたので、「チェーン内への理念の浸透」や「理念を具現化して生徒の指導に活かす」というプロジェクトに携われたこの時期は、在職中で最も充実していたと思います。

営業担当や教室長など色々な部署や立場のメンバーとぶつかることもありましたが、それを含めて良い経験になりましたね。 プロジェクトの具現化の一つとして「キャリア教育」を取り入れたため、「キャリア」に興味を持ったのがこの頃です。

 

その後、体調を崩して思うようなパフォーマンスができず、内部監査のポジションに異動しました。心理的に辛い時期が続いたことをきっかけに「メンタルヘルス」に興味を持ち始め、産業カウンセラーやキャリアコンサルタントの資格勉強に取り組むようになっていきました。

 

ところが、仕事の面では上司とそりが合わず、このまま続けていては自分が潰れてしまうのではないかと思い、退職を決めました。

資格も取得したし、なんとかとかなるのでは?という非常に甘い考えでしたが、とにかくこの状況から抜け出したいと思っていました。

 

 

紆余曲折して見えてきた、「やってみたいこと」

 

次の仕事が決まっていない状態で退職したので収入がなく、退職金でしばらくは食いつないでいました。

メンタルヘルスの資格を活かして働ける会社を探していたのですが、実務経験がないと面接にさえ至らない厳しい現実を突き付けられることに・・・。そんな中、現在勤務している「電話による健康相談の会社」に行き着きました。

 

健康医療分野の出版や対面での相談業務も行っている会社で、電話健康相談の部門でメンタル相談を担当しています。

また日本セクシュアルマイノリティ協会の認定講師としての仕事も始め、 企業や学校、自治体などでLGBTや多様性についての研修や講演を行っています。ここでは、塾時代に研修を担当していた経験が活かされています。

 

私自身がゲイなのですが、今まで自分のセクシュアリティに関連した仕事をするという発想を持ったことはありませんでした。

ゲイであることは10代のうちに受け入れていましたが、それを隠して生きるのは仕方がなく、社会に理解を求めるなど考えもしませんでした。

それは社会の問題ではなく自分自身の内面の問題だと思っていたからです。自分が強く生きれば良いのだと。

 

しかし、一時期通っていた起業塾の人に「人生の棚卸をして、一番誰を助けたいと思うのか考えてみなさい。」とアドバイスされ、半生を振り返ってみて、改めて自分のセクシュアリティについて見つめ直してみました。

例えば、マイノリティの方々は自己開示がしづらく、人に相談するときも一部を隠さざるを得ないことも多い。それは、キャリアなどの相談の場合でも同じで、本音ベースでの相談がしづらい。

そこに対して、カウンセラーでもありマイノリティ当事者でもある自分が何かできないか、と考えるようになったんです。

 

いずれは、マイノリティの方々が安心してメンタルやキャリアの相談ができる場を作っていきたいですね。研修や講演などの啓発活動では、単にLGBTの知識だけを伝えるのではなく、それを入口としてさらに広い意味での多様性・ダイバーシティを伝えていきたいです。

 

もともとは、「やりたいこと」も「目標」もありませんでしたが、目の前の事に前向きに取り組んできた結果、漠然とはしていますがこのような目標を持てるまでにいたりました。

「やりたいこと」がない状態でも「これなら面白いかも」という選択の積み重ねで、自然と出会いやチャンスが得られ、道が開かれてきたように思います。そうやって自分だけのキャリアを積み上げていくのも素晴らしいことだと思いますよ。