サラリーマン時代からパラレルキャリアを実践、結果独立へ

身近にいそうな誰かの人生観をはじめとしたキャリアストーリーをお届けするインタビュー記事。第16回は、学生時代からマネタイズの意識が芽生え、未来を見据えてパラレルキャリアを実施し、結果として独立に至った和田 英士さん。学生時代のバンドとの出会いから、どのようにパラレルキャリアを歩んで独立に至ったのか、語っていただいた。

 

バンドがきっかけでマネタイズの意識が芽生えた学生時代

 

高校からバンド活動に夢中。きっかけは中学の音楽の先生でした。歌がうまくてピアノも弾けて、純粋に「すごい!」と衝撃を受け、私もピアノを始めたり友達とバンドを組んだり、音楽中心の生活を送っていました。

 

私はギターを弾いていましたが、少しずつ機材を集めていって、高校卒業前には自宅で録音できるぐらい設備がそろっていましたね。ライブも定期的にやっていて、ライブハウスから市民会館クラスまで、いろいろなところでライブができるまでになりました。

 

市民会館ぐらいのキャパだと使用料が高いイメージがありましたが、実はライブハウスの3分の1ぐらいの使用料に抑えられるのを知って、これを使わない手はないと。赤字にならないように、集客力のあるバンドと一緒に対バンなど自分たちでいろいろと企画していました。資金調達、音響、照明、舞台設営まで、やれることは全部自分たちでやっていました。

 

大学受験はしなかったです。学校の先生からは「もっと勉強したら、結構いいところいけるぞ」と言われましたし同級生のほとんどが受験していましたが、大学進学に対する不安はまったくなかったです。高校2年から携帯ショップの外商をしていたので、仕事はなんとかなると思っていたのかもしれませんね。

 

携帯を欲しがる友達や友達の両親を紹介してもらう。1台売れると数万円もらえる機種もあって正直お金には困りませんでした。だいたい月20万円ぐらい稼いだ覚えも。ニーズを汲み取るとか、稼げる仕組みというか、いまでいうマネタイズをするのは高校生の頃には既に身につけようとしていましたね。最終的にはこの仕事は高校卒業前にやめて、卒業後IT会社へ勤務となりましたが。

 

 

先取りして実施していたパラレルキャリア

 

当時はWindows98が出た頃で、まさに一家に一台のパソコンにインターネットの黎明期。「PCやITの知識はこれから絶対に必要になる!」と思って、PC関連の知識を身につける仕事を選びました。目の前でネットの世界が進化していく過程を見られたのは楽しかったです。

 

あと、男でもごはんは作れた方がいいなと、終業後に居酒屋でもアルバイトしました。休みは少なかったですが、終電で帰ることは別にイヤじゃなかったので全く気にならなかったです。定時で帰ってゆっくりしたい、なんてことも思わなかったし。

その後、4年ぐらい勤めて調理師免許の受験資格をもらい、免許も取得。

料理ってほんとにクリエイティブですよ。「キャベツ1個あれば何ができる?」とかって考えながら作るのが楽しくって、いまも料理は好きですね。

 

22歳からは紹介で、行政書士や土地家屋調査士、測量といったいわゆる士業の会社にご縁をもらいました。会社自身もIT化を推し進めていたところで、前職の経験を活かせるかなと思い、イントラネット構築から、士業の実務まで幅広く仕事をしていましたね。

 

ただ、音楽と向き合う時間がちょっとずつ減っていってしまったのは残念でした。働きはじめてからもバンドは続けていましたし、メジャーになって売れたい気持ちもありましたが、だんだん活動が減ってきてしまい。私だけでなく、メンバーも社会人になって時間が合わなくなって……。結局、活動休止してしまいます。

 

25歳から勤務の3社目では、主に土木設計会社で現場と設計をしていました。休みもちゃんとありましたし、ゆるい会社だったので、時間がぽっかり空いてしまって。バンドのように複数人でなく一人でできる趣味がほしいと思って始めたのがカメラでした。

 

すぐに夢中になりましたね。そのころmixiが全盛期だったので、簡単に写真をアップロードし、たくさんの方に公開できたり縁を広げられたりしたことが大きかったです。僕がアップしていた写真を見たリクルート社出身の方から撮影依頼とか、NPO法人設立の依頼など、様々なお声がけをいただくようになります。

 

IT・行政書士・不動産に関わりながら仕事をしていたので、それぞれの知識が自然と身につき、いつの間にかパラレルキャリアを選んでいました。

 

 

キャリアを積んでいくうちに、自然と見えてきた「独立」

 

もともと何かに依存して仕事をするよりも、自分の道は家族の協力やご縁を活かしながら自分で切り開いて生きてきたし、これまで培ってきたキャリアを活かせるのは純粋にうれしかったです。その後もしばらく働いていましたが、平日に撮影依頼が来ても対応できないことが増えてきて、「独立」が目の前に浮かんできます。

 

調理師免許もあるから飲食店でもブームだったカフェもいいし、いろいろ選択肢はありましたが、どんなビジネスにも関わることができる立場として「カメラマン」を選びました。独立したばかりはCAD設計図面を描く仕事もやっていましたけどね。

 

独立3年目から、写真の仕事だけで生計を立てられるようになりました。レギュラーの仕事が多く、紹介やご縁で新規案件が増えていき、ご紹介もいつの間にかレギュラーになり……という好サイクルはうれしいですが、取引先が増え続けるので一身専属的な業務でご迷惑をおかけすることもあり、苦しい時代もありました。

 

現在はさらに「カメラマン」という職種に収まらない仕事の受け方が増えています。近年は代理店を介さず大手企業との協業が目立ってきました。企画に対して今までの経験や知見を活かしプレゼンをします。その場においてはカメラマン? ディレクター? 説明が難しいんですよね。

 

結果、自らを「○○です」というよりも、相手のニーズに合わせてポジションを取ろうと考えています。将来的には撮影業務の減少は目に見えているので、別のビジネスをいくつかやりたいですね。「それしかできない」というのはガマンできないので、常に先を見て、自分自身を変化させていきたいです。

 

 

これから重要となってくるであろうパラレルワーク

 

ある情報に対して、それを鵜呑みにするか、その情報のさらに先を考えるか、というのは重要な分岐点だと思うんです。面白いことをやっていきたい気持ちはわかりますが、そのワクワクは、ビジネスである以上はお金にならないと意味がない。ワクワクだけじゃダメなのは継続性がないからです。続けていくにはお金が必要。マネタイズを考えよう、ってなりますよね。

 

独立を考えているなら、パラレルワークを保つことは大事だと思います。また、自分が持っているビジネスのチャネルをすべてマネタイズすることも重要。

 

自身のチャネルは如何に需要があるか、ニーズに対して深く突き詰めて考えれば自分の立ち位置がわかりますし、ベストでなくともベターなポジションが見えてくるはずです。とにかく自分自身と客観的に向き合うよう意識しています。

 

「客観的」とは何を指しているかというと、自分自身を第三者的な目線で見て、シェアリングエコノミーされているか。シェアされているポジションか、事業がシェアされるのか、シェアしたいと思ってもらえる人になれているかどうかが大切ですね。それが叶っていれば次のステップへ進むよう周囲も応援してくださるはずです。個に拘るより和合することがパラレルワークの第一歩になるのではないでしょうか。