コンサル・学生・編集者等を経て、キャリアコンサルタントへ

身近にいそうな誰かの人生観をはじめとしたキャリアストーリーをお届けするインタビュー記事。第10回は、何歳になっても学習し続けながら自分のキャリアを考え続け、CAREER PLANTSの登録キャリアコンサルタント(メンター)としても活躍されているつちやさん。コンサルタント会社からスタートし、編集者や学生、企業のトップと様々な経験を経て、キャリアコンサルタントとして働いていく道を選んだストーリーを語っていただきました。

 

自分のキャリアがみつからない日々

 

新卒で入社したのは、人材・組織開発系コンサルタント会社でした。

“コンサルタント会社”というと、当時は外資系戦略コンサルティング会社であるマッキンゼーが日本に進出し始めた頃で、まだ珍しい存在でしたね。

工事協力などの土木コンサルティングをしていたため、具体的にどういった仕事をしているのかはわかっていました。それがあって、その仕事自体にとても興味があったため、コンサルティング会社という選択肢を選びました。

 

そうして入った1社目では、顧客の課題抽出からソリューションの提案など、いわゆる企画営業をしていました。

その後、マネージャーを経験して、深く企業経営のサポートを担当するコンサルタントへ……進む予定でしたが3年経たずに退社することに。

というのも、「女性だから」という理由で女性社員の研修やマナー講師といった仕事をメインに担当するキャリアを提示されるようになり、次のキャリアを考えることにしたのです。

 

次の仕事は、思いきって別の業界に行こうと考え、友人の紹介で、デザイン事務所に入社しました。

雑誌や書籍など出版物に適用されるエディトリアルデザインにおいて実績のある会社で、マネージャー(デザイン以外の仕事)を担当。ちなみに、エディトリアルデザインというのは、「読者の目線や印象から、より効果的な編集内容を考えたデザイン」というイメージです。

 

図や写真、映像等を中心にした視覚伝達方法である「ビジュアルコミュニケーション」にはもともと興味がありました。

そんなビジュアルコミュニケーションを実現している、デザイナーやクリエイターのサポートは、とてもやりがいのあるものでした。

イラストレーションや、取材写真など素材づくりを大切にしてデザインしていくプロセスは、刺激的ですごく楽しかったです。

 

そんな日々の中でデザイン事務所に身を置きながらも自分はデザイナーではないので、「先々をどうしよう」とも感じるようになりました。

当然ですが、デザイン事務所での花形はデザイナーやクリエイターです。

自分自身、これまでひとつの分野を継続せずにきて、胸を張って言える確固たるスキルがありませんでしたので、色々考えるようになりましたね。

 

そこで「勉強をしたい!」と決意して、生きていくのに役立つ勉強ということであれば、きっと経済だ!と思い、経済を学ぼうと明治大学の夜学の経済学科に通いはじめました。

 

 

「心・技・体」が仕事と学びの共通テーマに

 

いざ勉強し始めると、ひさびさに味わう暗記のツラさや知識が増えていく心地よさとともに、自分が探求したい領域が少しずつ見えてきました。

フリーランスで編集・ライターとしての経験を積みながらも「続きの研究をしたい!」という思いがふつふつと湧き上がっていました。

 

そうして見つけたのが、当時《空間と身体》をテーマに掲げていた東京工業大学の桑子敏雄先生の研究室です。

昔から空手やお茶を習っていたのですが、その空手やお茶を通じて「型」や「形」の重要性/意義を強く感じていました。そのような「型」や「形」を重視しつつ、高いクリエイティビティをきっとこの研究室は体現している、そう感じました。

私自身、デザイン会社で質の高いクリエイティビティを目の当たりにしていたため、私の興味の矛先とかなり合致している、そう感じたのです。

そうして桑子研究室に入ることを決めました。

 

桑子研究室で、「芸道における心・技・体の価値構造」をテーマに研究活動の時間を得たことは一生の財産です。

所属していた価値システム専攻というちょっと変わった分野には文系と理系の研究室があり、雑多にいろいろな学問やカルチャーが混ざっているカオスな場でした。

しかし、先輩後輩のつながりもあり、常にあれこれと議論が交わされていて本当に面白かったですね。

 

 

夫の会社を引き継ぐも、自営は厳しくリスタートへ

 

その研究室を、39歳で卒業することになります。

その後、編集プロダクションを経営していた夫が2010年に急逝してしまったため、私も編集の仕事を手伝っていたことから会社を受け継ぎつつ、一人で仕事をしていこうとしました。

家賃+αは払えるけれどスタッフを雇うほどの余裕はなく、貯金を切り崩しつつの生活が始まりました。

さらに2014年には弟が末期ガンで亡くなったため、自営業の道は厳しいため諦めることにしました。

 

そうして、51歳でハローワークでの就職活動。リスタートです。

ハローワークを通じて医療業界の仕事に従事しましたが、一番最初に就職した会社の同期がコンサルティング会社を起業していたことを知り、その縁でコンサルティング会社に採用されることとなりました。

再び最初の会社の同期と働く、まさに30年前の振出しに戻りました。

 

 

今後のキャリア

 

入社後、自分の専門分野をあらためて見つけようとして、キャリアコンサルタントという資格を取得したことでまた世界が広がりました。

今後は、学生だけでなく様々な年代の方が就職/転職するこのサポートを行う、「就職準備塾」を開催していきたいと思っております。

いずれは、この「就職準備塾」がビジネスになったらいいなと思っています。

 

キャリアコンサルタントの役割は、これからさまざまな可能性を持っていると思います。

大学には就職手前の学生が多数いるため、大学との連携はこれから重要になると思います。

新卒の学生はもちろん、「学び直し」ということで、私のように社会人が大学でキャリアをリセットするケースもこれから増えると思います。

さらには定年退職後の人材がどのように経験知を次の仕事にしていくか、企業がどう活用するかも重要な社会課題でしょう。

私自身は、企業で働きながら収入を得つつ、それぞれの人の「心・技・体」をベースとして相談にのったり就職支援をするという“自分のやりたいこと”を実現していければいいなと思っています。