身近にいそうな誰かの人生観をはじめとしたキャリアストーリーをお届けするインタビュー記事。第22回は、シェリー酒をきっかけにスペインに惚れ込んで、スペイン留学/勤務を経験してワインのインポーターとして働く志穂さん。料理の道を選ぶきっかけになった学生時代から、ワインのインポーターの仕事に就くまでの経緯を語っていただいた。
幼少期の経験から、料理の道へ進むと決めていた学生時代
幼少期から祖母にご飯を作ってもらっていて、手作りの美味しいごはんのが身にしみていたので、祖母が入院したときに代わりに母親が作ってくれた料理が口に合わず・・・
「生きていく上で、料理は自分でできないとダメだな」と痛感。高校進学の時に、調理師免許が取れる学校を選んだのはそんな理由です。
高校生の時から憧れていたレストランがあったんですが、高校卒業後すぐに働き始めるのが怖かったので、まずは調理の専門学校に進むことにしました。
学校の成績は良かったので先生も友達も大学進学を勧めてきましたが、「大学に行くメリットを説明してよ!」と軽く一蹴しましたね(笑)。勉強したいことは大学にないとわかっていたので、迷いはまったくありませんでした。
専門学校の決め手は、校風のよさと店舗経営を学べるカフェ学科があったことでした。
カフェ学科はとても楽しかったんですけど、「もう少し料理をちゃんと勉強したいな」と思うようになって、2年生から調理師学科のイタリア料理コースに転科しました。
その後、先生に「志穂はフレンチ向きだね」と言われたことと、一度フランス料理の基礎を学べばいろいろ“崩して”他の料理にも工夫できると思い、フランス料理もイチから勉強しました。
そのおかげもあり、専門学校卒業後は、学生時代に2週間だけインターンをさせてもらった有名店「モナリザ(恵比寿・丸ビル)」で働けることになりました。
シェリー酒と出会い、スペインに夢中に
「モナリザ」で過ごした時間は……ホントに忙かったです。1日16時間ぐらい働いて週1休みのペース。死ぬ思いで働いていましたね。でも心からここで働きたかったのでうれしかったですし、苦労したって振り返ることはないかな。限られた休みをやりくりして、ソムリエの資格も取りましたし。
ただ、資格勉強中にいろいろなワインを飲むうちにシェリー酒に惚れ込み、スペインのお酒だということを知ってからは俄然スペイン熱が上がってしまって(笑)。もう直感的にスペインで働きたくなって、スペイン料理を勉強するためにお店を変えました。
転職したスペインレストランではスペインのワインを勉強させてもらえると思って、ここでもとにかくがむしゃらでした。勉強しながらお金を貯めて、スペインに行くことだけを目標に頑張っていましたよ。短い人生ですし、行けるときに行ってみようと思って。
あと、スペインから帰ってきた後のこともぼんやり考えていました。
ずっと飲食の現場にいると、それしかできない人になってしまいそうで将来的な危機感が正直ありましたし、ワインの知識と経験を身につけてインポーターになるのは語学力も必要だと思って、単身スペインに渡ったんです。
大変な状況でも、行動力でなんとかしたスペイン留学時代
「グラシアス(日本語で言う「ありがとう」)」しかスペイン語を知らないレベルでまずは現地の語学学校に入り、日本で働いていたレストランのつながりで知り合った友人経由でなんとか住む家も確保しました。「なんとかなるでしょ」と、気負うことなく乗りこんだ感じです。
憧れだったスペインのワイナリーにも行けましたし、最初からかなり充実していたんですが、到着して4,5カ月ぐらいのときに財布を盗まれてしまって、身分証明書も滞在許可書も現金もクレジットカードもなくなり……。
IDがないので仕事があっても働けなくなってしまったのですが、スペイン来るのにお金かかっているし、スペイン来て1年間はいるつもりだったので絶対帰りたくない!
そこで知り合いが働いていた韓国料理屋さんで、いろんな人に「お金がない」と言い続けていたら料理イベントを開かせてもらうことになりました。「お寿司作れるよ!」とアピールしまくっていたのが功を奏したのかも(笑)。
他にもバレンシア州のソムリエ協会にお願いして、協会が主催する日本食イベントで料理を作らせてもらっていました。
帰国後、インポーターになることを目指して四苦八苦
その後ビザの関係で一度帰国をするわけですが、またスペインに戻ることが前提。ワインのインポーターの募集を探してみるものの未経験だと条件に合わず、ワインのコンペティションを主催している会社に入社することにします。
イベントをオーガナイズする会社なので、そこに出店しているインポーターとつながりを作れるかなと思って。ワインスクールを運営するなど、ワインの世界では名が知られている会社だったのもよかったですね。
仕事内容はワインスクールの営業サポートがメインでしたが、試飲会の誘致や業者との調整など、いろいろ勉強になりました。デスクワークも初めてでしたし、なにより「自分で考えて動く」ということを叩き込まれました。
そこで働きながらインポーターとしての転職活動もはじめ、自分が輸入したワインを飲食店に営業する輸入商社での仕事を見つけました。
ただ、人間関係や体力的に疲弊してしまったり、上司と方針が合わず、会社の姿勢にも反発して退職することに。
何が寂しいって、この会社で働きながら作ってきたスペイン料理のコネクションを置いてこざるをえなかったことですね。せっかく努力して育ててきたものを……という自責の念にも耐えきれず、スペインに再度向かうことにしました。
充実していたスペインでの仕事と、家族の大切さ
今度は最初から働けるビザを取っていったので、自分でワインを輸入するつもりでスペインに向かいました。
とはいえまずは仕事をということで、スペイン語を話せて、飲食経験があって、ソムリエの資格も持っていてというところを前面に押しまくって応募したところ、現地レストランの店長兼ソムリエとして働くことになりました。
バレンシアでは考えられないぐらい破格の待遇、一生安泰、贅沢できるレベルだったのもうれしかったですし、お店の経営とワインソムリエとしての経験を積めるのもありがたかったです。
また、がむしゃらに働くだけが仕事じゃない、ということを、スペイン人の働き方を見てようやく気づきました。
いい意味でホントに力が抜けているんですよね。性格的にガツガツ働いて自分にとっての成長を感じていたいタイプだったので、そういう“抜けた”感じで働いている人を見ていると正直ストレスに感じることもありましたが、自分みたいな働き方だけが正しいわけじゃないんだなと思うようになりました。
ただ、私がこの世界に入るきっかけとなった祖母が体調を崩し、リアルタイムで状況が伝わってこないことにやきもきすることに耐えられず帰国することに決めました。
日本・スペインでの経験が教えてくれた、将来の夢
日本に戻ってきてアルバイトをしながら就職活動を行い、次に働く会社から内定をもらってこれから働き始めるところです。
新しい就職先は、スペインから最初のときに落とされた会社でしたが、経験を積んで再アプローチしたところオファーが届いたという経緯があります。
副業もOKですし、3年働いたら1年休んでまたスペインに行っていいよと言われているので、まずはこの会社でコネクションを作ったり、スペイン語の勉強をしたいと思っています。
スペインと日本の両方に拠点を持って、生活していくのを目標にしています。日本にスペインワインを輸入して、そのワインを店に卸す。
また、スペインに家を借りて、日本でスペインワインのファンになった人を現地に送りこむなど、行ったり来たりできるライフスタイルを確立させるのがいまの目標ですね。
スペインに定住したい気持ちもありますが、日本の暮らしや家族が近くにいる安心感は何事にも変えられないんですよね。
あと、スペインが日本マーケットを欲しがっているので、私自身が日本にいた方が、お客さんを送りこむにしてもワインを仕入れるにしても、スペインの企業に強く言えることが拠点を日本にする理由の一つです。
これまでいろいろな「やりたいこと」があって、叶えたりなくしたりしてきましたが、時間が経つにつれて自分が本当にやりたいことの変化の揺れ幅が定まっていき、それが結果としてキャリアになっていくのではないでしょうか。
目標がそのときそのときで変わっていくのは自然なことです。
変わらないことが美徳、とは全然思いませんし、まわりにいる人やそのときの状況で想いや目標は変わってきます。意固地にならず、柔軟性を大切に持つことが大事だと思います。
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