留学での「負けたくない」が独立というキャリアに

身近にいそうな誰かの人生観をはじめとしたキャリアストーリーをお届けするインタビュー記事。第17回は、大学時代から海外の仕事に興味を持ち始め、その時々で自分の興味に突き進んでキャリアを歩んできた池田 竜朗さん。学生時代の留学の経験から、独立に至った現在までのキャリアについて語っていただいた。

 

海外志向はまだ弱く、やりたいことが決まってなかった高校時代

 

中学からサッカーを続けていて高校でもサッカー部に入部したのですが、夏休み前に親のすすめから海外にホームステイをすることに。夏休み中まったく練習に出られなかったこともあり、夏休みの後に部活をやめちゃいました。

 

今こうして振り返るとちょっと後悔しています。当時は海外にあまり興味はなかったし、どんどんサッカーが上手くなっていく感覚があったところでサッカーと離れてしまったので…。

その結果やめることになってしまい、正直続けたかったかなあ。その後は、僕と同時に部活をやめた友達もいたのでしばらくは遊んでいましたが、高2から塾に通うようになって勉強が楽しくなりました。

 

学校の勉強は一切してなかったので学校内の成績はいまいちでしたが、塾での勉強はとにかく楽しかった。目の前の問題をひたすら反復練習するのではなく、じっくり考えないと解けない問題が多くて、それを一つ一つ読み解いていく過程が楽しかったですね。

 

あるとき卒業後の進路について先生に相談したところ、「お前が志望している大学は全部受からんぞ」と言われてすごく腹立たしかったのを覚えています。将来何をやりたいかわからなかったですし、偏差値の上から有名どころの学校を受けようとしていたので仕方ない部分もあるんですが、一念発起して勉強に打ちこむようになりました。

 

いくつかある大学の中でSFC(慶應義塾大学 湘南藤沢キャンパス)に決めたのは、やりたいことが決まっていなくても入学後に選べる選択肢が多そうだったからです。なんでもできそう、面白いことができそうで、将来的な可能性を狭まるのが嫌だったんだと思います。

 

注力することを毎年変えて進化していった大学生活

 

大学1年のときは塾講師のアルバイト漬けでした。人の前に立つのが苦手で、そんな自分の性格を克服したいと思い、集団の生徒たちへの講師をやっていました。

 

2年生ではフットサルサークルの代表をしていました。目立つことが好きじゃなかったし、代表もやりたくなかったんですが消去法的にやらざるをえなくて。それでも最初20人ぐらいしかメンバーがいなかったのを140人近いサークルに拡大し、100人単位のメンバーを全くうまくまとめられんかったですが、仲間に助けてもらいながら参加したメンバーが楽しいと言って帰ってくれることが自信になりましたね。

 

学校では入学時に決めていた通り、プログラミング、映像、ゲノムなどいろいろな授業を受けていたので、だんだんと自分に向いているもの、向いていない授業がわかってきました。特にそのころ好きだったのは海外の思想的な授業です。演劇のように授業をしている先生でとてもユニークでしたし、過去の海外の偉人たちの考え方がいまの世の中にどうつながっているかを知って、自分も後世に何か残せるような存在になれたらと考えるようになりました。

 

3年生に入ってから1年間留学をします。きっかけは「海外の人に会ったことがないので話すのが怖かった」「英語就活に有益」「就職活動のエピソードに使えるかも」という3つ。動機が不純ですよね(笑)。でもフットサルサークルの代表をやりきった感もあって若干燃え尽き症候群みたいになってましたし、実際に英語に関しては自信がなかったので、苦手意識を克服したい一心で海の向こうへ渡りました。

 

 

留学で感じた、日本人であることの誇り

 

渡航先はニューヨークとシアトルに半年ずつ。単身で乗りこみました。ニューヨークには働いてみたい国際機関があったので「ここで働いてみたら面白そうだな」という漠然とした思いから、語学学校の先生経由でなんとかコネを見つけてアルバイトをしていました。

 

通っていた語学学校ではまわりにヨーロッパ・ラテン系の友達が多かったので、毎日が新しい発見という感じでホント楽しかったです。帰国後も毎年集まるような仲間がたくさんできました。

 

留学を通じて、欧米圏の人間からするとアジア人に慣れていない人が多く、中にはアジア人ひとくくりに見下したり馬鹿にしている人もいるのが事実としてあるんだ、ということを肌で感じました。

負けず嫌いなのか、いつか、そうした環境を変えるような人になりたいと思うようになりました。

 

特に日本人はただとにかくおとなしいっていう印象がありましたからね。それを払拭したいと思って陽気に、ある意味クレイジーにふるまっていた部分もあります。

 

そういう自分の意識と行動だけで、日本人のイメージを変えられる可能性があることを感じられたのは大きかったですね。帰国後、ヨーロッパの友達達が結婚式に呼んでくれたのはすごくうれしかったですよ。

 

 

紆余曲折しつつ選んだ就職先

 

留学中は仕事や就活のことをまったく考えていませんでしたが、何となくコミュニティづくりに興味がありました。アメリカではどこにいても小規模のコミュニティや町同士での交流が盛んで、地域の結束力が強いと日々の暮らしが安定したり、楽しいイベントも多いように感じられました。

 

そのころは、なんとなくですが、「市長になりたい、ガバメントで働きたい」と思っていました。単純ですが、市長になったら花火を打ち上げられる日を作ったり楽しいことをできるかもと、アメリカで連れていってもらったホームパーティーでとなりにいた子どもたちを見ながらそんなことを思っていました。

 

帰国後、大学に戻って、研究室で統計経済学を学び始めました。海外志向が強かったり、起業して成功している先輩が多かったのも刺激になりました。

 

研究テーマは「民営化」についてです。民営化する・しないといった話が出てきていたころで、仮に民営化するとどれだけの経済効果があるのかを統計的に調査していました。

 

 

会社で学べることは学びつくし、起業へ

 

就職活動では、大学で学んだ統計を活用できると思い、最終的にマーケティングのベンチャー企業に入ることにしました。

 

ベンチャーからのメールで、「統計を活用!」「全員が経営者」などの文言に惹かれてそのベンチャーの面接を受け、内定をもらって入社しました。正直、今思うと怪しい文言ではありましたね(笑)

 

主に業務内容としては、Webマーケティングをしていました。バリバリのベンチャー企業でしたが、Googleのトップレベルユーザーの方がいらっしゃったり、先輩から受ける刺激は大きい会社でしたね。

 

それまでWebマーケティングの経験はありませんでしたが、数字を見る力・分析する力をつける事は大学時代からの延長のようで、業務内容は楽しかったです。いつの間にか、社内で一番大きなサービスの担当をするようになったのでやりがいはとてもありました。

 

社内にライバルがいなかったので、もう少し大きな会社で色々なノウハウをみてみたいと思い、ネット広告大手の会社に転職しました。

クライアントや案件の規模が大きいのはもちろん、なによりお客さんの姿勢が違いましたね。色々大手のやり方を学ぶことができたので、結局3年弱で退職し、今度は自由に実力を試したいと思い、起業することにしました。

 

 

やりたいことだった「スペインでの起業」を実現、その先へ

 

その後、起業するつもりでスペインにわたり、日本人がチャレンジしなさそうな領域で勝負してきました。現在は日本オフィスとスペインオフィスの2拠点経営しています。

 

社員に関してはアメリカ留学時代の友達に紹介してもらったスペイン人に働いてもらっています。そのスタッフがたまたま日本語を話せたので、登記やそのあたりもうまく進められたのもよかったですね。現在では日本と合わせて10人くらいの規模になりました。

 

自分が顔を出さずとも回るぐらいに安定させたいと思っています。スペインは安定してきているので、むしろ日本オフィスの社員育成が課題ですね。トレーニングが難しく、どうやったらうまく独り立ちしてくれるかがいまの悩みです。

 

これからも昔も変わらず、面白そうなことであればいろいろ手を出してやりたいことを見つけていきたいですね。新たなメディアを作ってみたいという気持ちがありますが、「スペインで起業したい」「マーケの力を試したい」という前々からの目標を実現させたので、ちょっと落ち着いています。

 

ただ、常に新しい技術が動いている業界ですので、新技術を身につけていくことを常に意識しつつ、新しいイノベーションが生みだすために“次”につなげていこうと考えています。