身近にいそうな誰かの人生観をはじめとしたキャリアストーリーをお届けするインタビュー記事。第16回は、学生時代の経験を通じて「旅」を中心としたキャリアを築き、やりたいことを実現している中尾有希さん。学生時代の「旅」との出会いから、どのようにキャリアを歩んでいるのか、語っていただいた。
自分らしく、人と違っていたい、そんな思いから興味が広がった学生時代
子供のころから『自分らしくありたい、人と違う個性を持っていたい』という思いが強かった私は、神戸市内で最も自由な校風で有名な、下町にある高校に進学しました。
標準服はあるけど、普段は私服でいい。
勉強をする、時間を守る、など当たり前のことをやっていたら、あとは生徒の自由を重んじる。
よく遊び、よく学べ。進学校だけど、同級生にはデザイナーや消防士になったヤツもいる。
そんな校風の中で自分がどうありたいか、考える3年間でした。
もともと群れるのが嫌い、自分らしくいたい、人と違いたいと思うような、人と違っていたい、という思いが強かった私は、当時まだ部活としてできたばかりのダンス部を選びました。
理系文系の選択では、群れるのを避けたくて女子の少ない理系に。さらに、大学は関西の有名大学ではなく、遠く離れた環境に行きたいと思い、北海道に進学しました。
いま思うと、それぞれの選択が自分の人と違っていたい、自分らしくありたい、とこだわっていた性格を表しているなぁ、と感じます(笑)
ちなみに、大学受験のときは工学部を選んでいました。
その理由は、当時は自然遺産の保護に興味があり、環境工学科を目指したためです。北海道という、地元関西とはまったく違った地域に進学したことで、日本国内での地域の違いと魅力を知ることができました。
それを機に、遠いところに行っていろんな地域・文化を見るのが楽しいと感じて旅するようになり、いつしか興味は自然遺産から、より人の文化や生活を感じられる文化遺産に移っていきました。
その結果、学科選択のときには、古い建物や文化財を修復する仕事をしたいと建築学科を選ぶこととなりました。
建築学科に入ったあとは、イタリアをはじめ歴史的建築物や文化財を見るために旅するようになりました。
休学して確信した、「旅」の魅力
大学3年の夏に、フランスに現存する城壁を修復する国際ワークショップに参加したのですが、帰国後、一番記憶に残っていたのはその場所で出会った人たちでした。そもそもの参加理由は古城の修復作業にあったのですが、写真を見直して冷静に考えても、建造物よりそこで出会った人たちとの記憶が鮮明だったんです。
自然遺産から文化遺産へ興味が移っていましたが、さらに、建築物や文化財などの形あるものよりも、人や文化、生活といった形のないもの、旅という非日常で出会うヒトモノコトに惹かれ始めていて、建築専攻のまま大学院へ進学することに迷いが生じました。
工学部ということもあり、友人の多数が大学院に行く中、流れで進学することが嫌で、考えていた通り建築のまま進むのか、気づき始めた旅の魅力に向き合うのか、どちらか決めるためにいろんな人に会うことに1年間使おうと思って休学し、国内外を旅しながら過ごすことにしました。
1年間の中で、最初はお金を貯めながら国内で設計事務所でインターンをしたり、農家や飲食を手伝わせてもらったり、家電量販店で働いたりもしていました。この時期に学歴やカテゴリーを超えた、たくさんの大人に会わせてもらったことは大きな財産になりました。
その後半年ほど、バックパッカーで海外も訪れました。2006年当時はインターネットカフェぐらいしか旅先のネット環境はなく、ガイドブック片手にアナログの旅ができた最後の時期だと思っています。
ボランティアをしながら、そのメンバーたちとそのまま旅をしたり、後々ヨーロッパで再会したり、行く予定のなかった国に宿で出会った人と一緒に行くことにしたり、、、
数々の観光名所も面白かったですが、やはり一番は人との出会いでした。
旅先という非日常で出会うヒトモノコトが、日常を豊かにしてくれる。そんな旅というツールに魅せられ、旅に関わる仕事をしようと決意し、帰国しました。
「旅」を軸に変化していく興味とキャリア
最初の就職先に北海道じゃらんを選んだのは、日本の各地の魅力や個性を活かすことで、日本に貢献したいと思ったから。学生時代を過ごした地域ですし、産業として観光が地域に果たす役割が大きかったことから学べることがとても多かったです。
4年間営業をして、ある程度旅行業界のことがわかってきたところで「次のステージにいきたい! 環境を変えたい! 海外とも関わりたい!」と思うようになり、トリップアドバイザーに転職することになりました。
いまでこそ旅行の口コミ・情報サイトとして成長しましたが、当時は日本に入ってきたばかりで面白かったですね。グローバル人材がたくさんいて毎日が刺激的でした。
トリップアドバイザーで2年働いた後、旅がただの娯楽ではなく、それ以上にもっとキャリアや人生観にアプローチできることがあるのではないかと思い、シアトルのNPOで8ヶ月ほど働かせてもらったり、友人が立ち上げたフィリピンの語学学校をサポートさせてもらったり、日系人のルーツを探る旅をしたり、日系人が暮らすボリビアの村を訪問したりと、ヒントを得るための旅をしていました。
その他、フィリピンで設立した語学学校をサポートしたり、と、そのとき必要な刺激を得るために、旅をしていました。
帰国後、これまでの旅行のBtoBに関わる立場から、よりお客さんに近い現場を感じてみたい、場づくりをやってみたいと思い、知り合いに紹介された遊休不動産をリノベーションし、再活用するベンチャーで働くことになりました。
じゃらんもトリップアドバイザー当事者ではなく“伴走者”でしたからね。本当の意味で現場、旅行者を受け入れる事業者側、人が集まる場づくりを経験してみたかったんです。
当時は、増え始めた訪日外国人観光客に注目が集まり、ホステルをはじめとした宿泊施設が急増している時期でした。宿泊施設急増に伴い、どうしても価格競争になってしまう状況が始まっていました。
加熱する価格競争の末に、ときには現場のスタッフが疲弊したり、提供するサービスレベルが下がったりするような場面を目の当たりにしていました。一方では、まだまだバブルのように宿泊施設が増え続けていました。
そんな状況を見ているうちに、私にできることはなんだろうか?と思い、今後の日本の旅行業界のために一歩引いた視点を身につけようと旅行系シンクタンクにいきたいと思うようになりました。
やりたいことを突き詰めた結果が、今の自分
現在の観光のシンクタンクでは、これまでの現場寄りの業務では見ることができなかった、業界全体の動向や先進事例などを調査する機会があり、今までとは違ったマクロな視点で業界を見ることができ、とても充実しています。
これまでに何社も転職していますが、私自身は《株式会社日本の旅行》のような大きな枠組みの中で部署異動しているような感覚。営業からキャリアをスタートして、インバウンド誘致、マネジメントに研究と、人生における旅や観光の価値を高めていくいろいろな手法を試させてもらっているところです。
私の場合は「旅」や「人」、そして「土地の魅力」といったキーワードが行動の中心にありますが、何事においてもそのときどきに感じたやりたいことを自分に正直に突き詰めて行動すれば、自らキャリアを切り開いていけるはずです。
やりたいことをやっているときって純粋に楽しいですからね。
楽しいともっと学びたいと思うし、やりたいことがどんどん増えていく。ビジネスも同じです。
一過性の旅行特需にのっかるのではなく、中長期的なスパンで日本の旅行業界のこれからを見定めていきたい。その中でなんらかの役割を担えたら幸せです。